横隔膜と笑い~笑いの人類進化仮説~

前回のコラム、難解な「笑いの統一理論」のやさしい解説では、関西大学名誉教授木村洋二先生の笑いの発生メカニズムについて解説をしました。 今回は前回割愛した笑いの統一理論の重要な一部である「横隔膜と笑い」の関係について木村洋二先生編『笑いを科学する』(新曜社)をもとに、やはり「やさしく」解説したいと思います。

横隔膜は一瞬の動作を可能にする

予想外の出来事が起きたとき、すぐに事態に対処するため短時間でより高出力なエネルギーを生み出すことが生物の生存可能性を上昇させます。 動物は酸素という高エネルギーに変換しやすい物質をとりこむことで高出力な激しい動作が可能です。加えて人は、横隔膜の軽快な動作によって効率よく一瞬で酸素を取り込み、瞬時に出力を上げ行動できます。 対して、横隔膜を持たない恐竜はあばら骨を中心とした筋肉運動によって空気を取り込むため比較的酸素の確保に手間取ったのではないだろうか、と想像を膨らませることもできます。

笑いの反対は何?

予想外の出来事が起こってハッと息をのむこと、これは驚きです。呼吸という観点では、笑いは断続的に息を吐くことです。息を吸う、息を吐くという関係でみると驚きと笑いは反対の行為として位置づけることができます。 H.スペンサーは認知的枠組みの予想が外れ出力が不足すること(ascending incongruity)を驚きとしました。また、出力の余剰(descending incongruity)によって笑いが発生するとしました。 驚きの反対に笑いがあると指摘しているのです。 なお、スペンサーが指摘するのは「心的エネルギー」(予期ポテンシャル)の確保と放出の関係の話であり、呼吸によって身体的エネルギー(行動ポテンシャル)を確保・放出することとは文脈が異なりますが、両者は非常に類似しています。

笑いと驚きとが「反対」の関係にあるとみなせるとはいえ、驚きによって生じたエネルギーの余剰化が笑いにつながることから、笑いと驚きは一連の流れの中にあるということもできます。 笑いの統一理論に照らすと、驚きでとりこんだ酸素が、「負荷脱離」によって突然余剰化し、笑いによって排出されるのです。 ちなみに、笑いがなぜ連続的呼気(ハー)ではなく断続的呼気(ハッハッハ)であるということは謎です。 連続的呼気より断続的呼気のほうが短時間で多くの息を排出できるという報告があることから排出効率の良い方式が進化的に採用されたと考えてもよいのかもしれません。


笑い発生時の腹部皮膚表面電位のスペクトログラム。
縦軸は周波数、横軸は時間(白線は0.1秒毎)、色はパワーを示す。
笑いは腹部でも断続的な反応として検出される。

笑いと言葉の関係

横隔膜が断続的な呼気を発生させる源だとすれば、分節した発声で構成される言葉の誕生に横隔膜が貢献した可能性があります。 言葉が生み出されたことで、人は自己が直接知覚したこと以外の情報によっても新たな認知的枠組みを起動し、迅速に事態に対処することが可能になりました。 ミサイルが飛んできたぞ!と言われれば、ミサイルの姿を目視する前からそれに備えた行動ができるのです。 同時に、認知的枠組みが大幅に変更されることから、枠組みに対する出力の調整の振れ幅が大きくなり、調整に遅れを生じさせることとなりました。 寝起きにミサイルが飛んできています注意してください、と言われても急には行動できない人がほとんどでしょう。 出力調整の遅れが出力の不足と余剰を発生させ、驚きと笑いを生み出すきっかけになっているのです。

笑いと言葉の関係

以上の仮説をまとめて、木村洋二先生は笑いが人類の進化に多大な貢献をした可能性があるとして、「笑いの人類進化仮説」を唱えています。

  1. 哺乳類の脳に酸素を特別供給してきた横隔膜の減圧ポンピング動作が「ハッハッハッ」という呼気の分節をもたらし,
  2. この分節発声能力が言語の音韻システムの分化を可能にし,
  3. その言語(コトバ)の使用が,個別にユニット化された図式の膨大なストック(知識)を生み出し,
  4. さらに,このコトバの伝達によって図式ユニットの瞬時の切り替えが可能になり,
  5. この瞬時の切り替えによって出力調整の遅れが生じるようになり,
  6. この遅れが不足の驚き(ascending incongruity)を余剰のよろこび(descending incongruity)を生み,
  7. その余剰が負荷脱離のトリガーとなって笑いの発生を促進し,
  8. この笑いがさら異元結合によって言語世界を豊穣化した

木村洋二編, 2010, 『笑いを科学する』新曜社.

まとめにかえて

「笑いの人類進化仮説」はサルから人への進化の中心に笑いがあるとする壮大な仮説です。 一点、補足するのであれば、チンパンジーやゴリラ、オランウータンなどの霊長類も笑うということが報告されています。ただし、チンパンジー等の笑いは呼気と吸気の繰り返しである一方で、人間の笑いは一度息を吸ってからは断続的に息を吐くだけという違いがあります。 人間のほうがまとめて処理できる機構を備えていると考えることもできます。こうした笑い方の違いが進化に影響していたとしたら、と想像すると面白いですね。

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