ホスピス・緩和ケアの第一人者に学ぶ「医療とユーモア」
柏木哲夫医師(淀川キリスト教病院理事長、大阪大学名誉教授、ホスピス財団理事長)は、日本にホスピス(緩和ケア病棟)を広めたことで知られる、緩和ケアの第一人者です。精神科医としての専門知識や二千人以上もの患者の看取りをした経験から死ととなりあわせの終末医療の現場においてもユーモアが大切であると説かれています。今回は、関西大学堺キャンパスで開講されている「笑い学入門講座」でおなじみのテキスト『笑いを科学する――ユーモア・サイエンスへの招待』(新曜社)の柏木医師のコラムを手掛かりに、医療現場のユーモアの事例を紹介しながら医療とユーモアについて考えます。

医療現場におけるユーモア
ユーモアは人々にさまざまな影響を及ぼします。医療のシーンにおけるユーモアの機能として柏木医師が注目するのは「タブーへの言及」です。言及しにくい世の中のタブーを取り上げることはユーモアの得意とするところです。たとえば、エスニック・ジョークはしばしばある集団のタブーを題材にするにより、解決すべき課題を広く社会に提起します(参考:笑い学入門5「エスニックジョークは社会の温度計」)。医療の現場においても、患者と医者の間、患者とその家族・友人との間で言いたくても言えないことが生まれます。それをユーモアの衣で包み込むことで、共有しやすい形にすることができます。
手始めに、そのような患者の気持ちを詠んだ川柳を紹介しましょう。
ユーモア1
串刺しの 心と書いて 患者です(木村洋二編 2010『笑いを科学する――ユーモア・サイエンスへの招待』新曜社.)

手術に臨む患者の不安を題材としたユーモアもあります。
ユーモア2
初めて手術を受ける患者が心配そうにナースに尋ねた。(同上)
「私、初めての手術なので心配で……」。
ナース答えて曰く、
「大丈夫ですよ。執刀される先生も初めての手術ですから……」。

これは言われた患者はたまったものではない、ブラックなユーモアではあります。 しかしよくよく考えると、このユーモアを聞いた人にとって手術前の不安は誰にでもあることを気づかせてくれるユーモアであるともいえるのです。
同じく手術に臨む患者の不安を詠んだ有名な川柳です。
ユーモア3
お守りを 医者にもつけたい 手術前(同上)

ストレスフルな状況においておかしみを見出したり笑い飛ばしたりすることでストレスに対処(coping)することを、「コーピングユーモア」と呼びます。笑うことそのものにストレス軽減効果があると報告されていますし、本音を吐きだしてしまうことでストレスを軽減させる効果も期待できます。
いたわりのユーモア
医療現場におけるユーモアは患者にだけメリットがあるものではありません。ときにはその場を共有した医者のストレスの緩和をしてくれます。今度は患者が医者をいたわる「いたわりのユーモア」を紹介します。
まずは、柏木先生とある寝たきりの乳がん患者との会話です。
ユーモア4
柏木先生:「いかがですか?」(同上)
患者:(いたずらっぽい目つきで)「おかがさまで順調に弱っています」
続けて、ある医者とすい臓がんの末期患者との会話。
ユーモア5
患者:「先生、あと数日であの世の感じです」(同上)
医者:「数日で天国のようですか」
患者:「わたし、天国でも地獄でも、どちらでもいいのです。きっと、どちらにも友達はたくさんいると思いますから……」

上記2つのユーモアは、いずれも死に直面した患者がストレスフルな状況で発したものです。患者にとっては死を見据えたコーピングユーモアになっていますが、医師に対する患者のいたわりの心も読み取れます。ユーモアは主観から離れ、物事を客観視して捉えなおしたときにしばしば生じます。患者が自身の置かれた状況をユーモアにして提示することで、自身が客観的な視点に立っていること、つまりは治療方針やその先にある死を受容したことを伝えているのです。そこには懸命に治療にあたっている担当医へのいたわりの心があらわれています。
医師、患者およびその家族で交わされたユーモアを紹介します。
柏木先生と末期の食道がんで食事が困難になった女性患者とその主人との会話です。
ユーモア6
柏木先生:「ひょっとしたら、トロぐらいだったらトロトロっと入るかもわかりませんね。(笑)」(柏木哲夫 2001『癒しのユーモア――いのちの輝きを支えるケア』三輪書店.)
女性患者:「そうですね、トロねえ、私も1日中トロトロ寝ていないで、トロくらいに挑戦しましょうか」
患者の主人:「いや先生、私もトロい亭主ですけど、トロぐらいだったら買いに行きますよ」

このとき女性患者は通常であれば流動食さえ飲み込むのは困難な状況でした。しかしこの後、トロを三切れ食べることができたそうです。
ユーモアによる「自己距離化」
心身のケアが必要な人とそれに真剣に対処する人の場である病院には笑いがあふれることはめったにありません。終末医療の現場であればなおのことです。しかし、柏木先生はこうした医療現場にこそユーモアがあるべきだと考えています。 ユーモアで笑うことで一時的に自己を離れ事態を客観視する「自己距離化」が生じるからです。何気ないユーモアを通じて、今まで近すぎて見えなかった自分自身、自分の人生について俯瞰することができるのです。 このような笑いの心理的効用を関西大学人間健康学部教授で日本笑い学会会長の森下伸也先生は、「自己防衛の笑い」と位置付けています(森下伸也 2003『もっと笑うためのユーモア学入門』新曜社.)。 その例として、アメリカ製大衆映画のヒーローが万事休すの状況で「今日は貸した金を返してもらう日なのに!」とジョークを飛ばすシーンを森下先生は挙げています。 ユーモアによって危機的状況においてパニックに陥らず自我の崩壊を防ぐことで、その後の柔軟な対応も可能になってくるのです。
極限的な状況のユーモアとして有名なのが「死刑台のユーモア」です。
ユーモア7
ある月曜日に、処刑台にしょっ引かれてゆく死刑囚がこう言った。(森下伸也 2003『もっと笑うためのユーモア学入門』新曜社.)
「やれやれ、週のはじめだってのに、ひどいもんだぜ」。

いかんともしがたい壊滅的状況においても、人はユーモアによって「自己距離化」し、自我の崩壊を防ぐことができるのです。このことをうまく表すドイツのことわざで今回は締めくくりましょう。
ユーモアとは、「にもかかわらず」笑うことである。
(Humor ist,wenn man trotzdem lacht)
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