《笑い祭り》12月23日は枚岡神社「注連縄掛神事」へ行こう

日本には、笑うことを神事や祭りの主に据えた「笑い祭り」が数多くあります。 そんな「笑い祭り」を一つ一つ掘り下げて紹介するシリーズ《笑い祭り》。第四回目は大阪府東大阪市枚岡神社の「注連縄掛神事」(しめかけしんじ)です。少し詳しく解説するので、この知識を持っていけば現地で楽しめること間違いなし。

神事・祭りデータ

場  所:枚岡神社(大阪府東大阪市出雲井町7番16号)
アクセス:近鉄奈良線枚岡駅下車すぐ
開催時期:毎年12月23日 10時頃~
地  図:下記参照


「注連縄掛神事」はこんな神事

注連縄掛神事(しめかけしんじ) は、かつては12月25日、近年では12月23日(祝日;天皇誕生日)に東大阪市の枚岡神社でおこなわれる笑い祭りです。まず、早朝から氏子約20名が集まり、2時間ほどかけて新しい注連縄を編み込みます。注連縄にわらで3つの大きな房が作られることが特徴です。古い注連縄を外し、新しい注連縄に掛け替え終わった午前10時頃、烏帽子と装束を着用し笏を手に持った神職が来て、前に神職、後ろに氏子が列をなして並びます。禰宜(ねぎ)の手によって修祓など一定の手続きを済ませたのち、宮司が総代の列の中央に進み出ます。全員が注連縄の方向に対面した状態で、宮司が「ワッハッハー」と笑い声をあげます。続いて、その他神職と氏子も「ワッハッハー」と笑います。これを3セット繰り返して神事は終わり、というのが従来の流れです。近年ではこのあとに「20分間参加者全員で笑う」という行程がくわえられました。神事の様子は動画をご覧ください。

市民参加型のイベントへ

注連縄掛神事は数年前までは、神職と氏子と数十名の見物人が参加するのみのローカルな祭りでした。数年前に「20分間全員で笑う」という行程がくわえられたことをきっかけに、現在では数千人が参加する祭りとなっています。出店でも笑いに関するグッズも多く出され、笑いを競うコンテストや天岩戸神話に基づく儀式や落語会が開催されるなど朝から晩まで笑い尽くしの大イベントとなりました。20分間の笑いの一部は次の動画に収められています。

注連縄掛神事の記録

枚岡神社は旧官幣大社の由緒ある神社ですが、注連縄掛神事の記録は少ないです。『枚岡市史』には「この神事については、社記には少しも記されていない」とあるほどです。注連縄掛神事についていくつか言及している文献を紹介しましょう。『枚岡市史 第二巻別編』では「鳥居と社殿との間に建つ注連縄柱の石柱に、大きな注連縄を張りわたし、その下で神職や氏子総代が高笑する神事」とあります。井上正雄氏の『大阪府全志』には「俗に笑祭といへるあり。毎年一月八日、御袚河の前面なる賽に於て、一節の注連縄を両側の木にかけ張りて、一同の笑へるものなり。其の起因は明ならざれでも、古来の例なり。」とあります。この神事はかつては1月8日におこなわれていたのです。しかし、注連縄の掛け替えは多くの社寺で12月25日と定められていることからこの日に移行したのではないでしょうか。

なぜ笑うのか?

注連縄掛神事でなぜ笑うようになったのでしょうか。井上正雄氏の『大阪府全志』では「其の起因は明ならざれでも」とされていて、笑いの原因は不明です。現在考えられる説をいくつか紹介しましょう。

冬至と太陽信仰

現在の主流は冬至と太陽信仰説です。一年で日照時間が最も短くなる冬至に太古の人々は太陽の復活を願いました。この説では太陽神の復活を取り戻すものとして人々がおこなったのが笑いだと考えます。太陽の復活と笑いは一見結びつきそうにありませんが、古事記や日本書紀に記されている「天岩戸神話」でその謎は解けます。
ご存じだとは思いますが天岩戸神話を簡単に紹介しましょう。太陽神アマテラスの弟であるスサノオの乱暴狼藉を原因にアマテラスは天岩戸にこもり、世界は真っ暗になります。智恵の神様(オモイカネ)が知恵をひねり、ある作戦を考えました。岩戸の前で笑うことによって、アマテラスの興味をひくのです。芸能の女神(アメノウズメ)の神がかったストリップショーによって、八百万の神々はゲラゲラ笑います。自分がいなくて困っているはずなのになぜみんなは笑っているのかと疑問に思ったアマテラスが岩戸をあけます。そこに鏡を差し出して「あなたよりすばらしい神がきた」と言ってアマテラス自身を映し、アマテラスが身を乗り出したところを引っ張り出して再び世界に光が戻りました。アマテラスが二度と岩戸に戻れないよう、フトダマノミコトによって注連縄がかけられます。


天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌画、明治20年(1887年))

枚岡神社の資料『注連縄掛神事とはどんな神事ですか』では「天の岩戸の前で神々が哄笑した神話を彷彿とさせるこの神事は、一日も早い春の訪れと、豊かな実り、草木の成長を念じて行われる。注連縄の下で高笑いをすることにより、太陽を元気づけて春の到来を誘っているのである」とありこの説を支持しています。
ちなみに、笑い以外でも太陽を元気づけようとする儀式は各地でおこなわれています。『枚岡市史』によると中国では、日蝕の時に太鼓を打って太鼓の発する威勢のよい音で太陽を元気づけ、その復活を求めたという事例が紹介されています。
枚岡神社の祭神はアメノコヤネです。この神は天岩戸の前で占いをおこない、祭場を設け、祝詞を奏上したことで知られています。さらに、天岩戸神話には注連縄が登場します。このように注連縄掛神事はさまざまな点なから天岩戸神話との接続点がみてとれるのです。

予祝行事

かつての注連縄掛神事は1月8日におこなわれていました。これは冬至とはややずれています。そこで考えられるのが「予祝行事」説です。「笑う門には福来る」という言葉があります。通常、人は「幸せが来たから笑う」のですが、それを逆転させて「笑うから幸せがくる」と太古の人々は考えたのです。その年の豊穣を願う予祝行事の一環として笑うということが考えられます。
注連縄掛神事の後には初穂祭がおこなわれます。初穂祭では、神楽奏上後に1月11日の粥占神事に奉仕する役口が氏子から6名ほどおみくじで選ばれます。つまり、注連縄掛神事は粥占神事の前祭という位置づけにあると考えられるのです。その年の豊作を占う枚岡神社の粥占神事は江戸時代の文献でも確認されるほど名の知れた神事であり、農民のそれにかける思いは強いものがあったことでしょう。笑いの神事によって、粥占神事の結果をよいものにしようという願いがあったのではないでしょうか。一般の民俗信仰でも「笑いながら初物を食べる」がありますが、これも似たような信仰のもとに生まれたと考えられます。

神様を元気づける

上記の2説を包括的に捉えると、「神様を元気づけるために人々は笑う」と言うことができます。日本の笑い祭りには、神様に向かって笑うという構造がよく登場します。かつての笑い講では、神棚に向かって笑っていましたし、和歌山県の笑い祭では神様を慰めるために笑ったといいます。注連縄掛神事でも、注連縄や拝殿に向かって笑います。西洋の神様とは異なり、日本の神様は働きかけが可能な存在だと考えられていたのです。近代になって、おかしいものを見聞きして笑うことが当たり前になってから、これらの笑い祭りの構造は変化してきています。神という聖なるものに笑うのは失礼にあたるのではないか、と近代の人々は考えたのかもしれません。これからの笑い祭りは、神に笑うのではなく、芸を見て笑う、みんなで一緒に笑うという趣旨の祭りに変化していくことでしょう。

まとめ――「注連縄掛神事」の見どころ

いかがだったでしょうか。ややマニアックに紹介したので、注連縄掛神事を楽しむヒントを見つけられたのではないでしょうか。注連縄掛神事の見どころは、笑いの神事とその後の「20分の大笑い」です。それぞれの「笑い」が大きく異なることに気づくはずです。笑いの神事の笑いは儀式的な笑い、20分の大笑いは参加者のための笑いです。
20分の大笑いで、実際に20分間笑ってみると、1分間大笑いするだけでも大変だということに気づくはずです。笑いは大きな運動効果があるとされていますし、健康によいものとして近年研究が進められています。冬の時期に笑う祭りがあるのは、冬期うつを予防するためという説もあるほどです。たくさんの人の笑い声を聞くことで笑いが伝染し笑いやすくなります。ぜひ参加して大笑いにチャレンジしてみてください!

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