笑いを愛した作家に学ぶユーモアのテクニック11

プロの作家にユーモアの作り方を学ぶ!

以下のような笑い話を目にしたことがある人もいるでしょう。

笑い話1

ある大学で教授が女生徒Aに、
「適当な条件下で、大きさが通常の6倍になる体の器官を挙げてください。
その時の条件も言って下さい」と質問をした。
指名された女生徒Aは、顔を真っ赤にしながら冷ややかに
「これは適切な質問ではありません。この件は学校に告発します。」
と答えた。しかし教授は平然としたまま、別の生徒に同じ質問を繰り返した。
次の女生徒Bは落ち着いて答えた。
「目の中の瞳です。暗いと大きくなります」
「正解です。それからAさんには言いたいことが3つあります」と教授は続ける。
「1つ、授業は真面目に聞きなさい」
「2つ、あなたの心は汚れています」
「3つ、6倍になるなんて思っていたらいつの日か本当にがっかりする日が来ます」

これは、米原万里著『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)に出てくる一節をもとにしたジョークです。著者の米原万里氏はロシア語通訳として活躍しながら、ユーモアに富んだ著作をいくつも遺した作家でした。今回は、米原氏の遺作となった『必笑小咄のテクニック』(集英社新書)を参考に、氏のユーモアのテクニックについてまとめます。

笑える小咄を作るテクニック11

『必笑小咄のテクニック』では、笑い話を作るための11ものテクニックが紹介されています。それぞれの笑い話の例をまじえながら、簡単に紹介します。なお、すべてのテクニックは重複して使うことも可能です。

テクニック1 巧妙な誘導

笑い話には、オチとは別の方向へ読み手や聞き手を巧妙に誘導し、最後の最後に事の顛末を暴露するという形が見受けられます。

笑い話2

まず男はあわてることなく優しい手つきでスカートを下した。 それからゆっくりとブラウスをはいだ。次にブラジャーのホックを外して引っ張ると、ブラジャーはそのまま男の足下にはらりと落ちた。 それから男は一気にパンティーを引きずり下ろした。
今や男の目の前には、むき出しの……洗濯ロープがあった。
(米原万里『必笑小咄のテクニック』集英社新書 pp.19-20)

オチそのものが面白いのではなく、ミスリードとオチとの落差が笑いを呼ぶのです(下図)。笑いを話を作るには、オチを読み手や聞き手に悟られないよう、ミスリードに心血を注ぐ必要があります。


笑いの曲線
(同上 p.19)


テクニック2 情報の並び替え

笑い話は、最初からミスリードやオチがあるわけではありません。次の要領で情報を並べて笑い話に仕立てるのです。

  1. オチが最後にくること
  2. オチを成立させる前提条件を先行させる
  3. オチも前提条件もあたかも自然であるように情報の順序に配慮する
  4. 最後のオチまで付き合ってくれるよう、謎と答えを小出しにする
  5. できれば謎解きとミスリードをシンクロさせる
  6. 理想は、最大の謎の氷解とオチを一致させる
  7. (同上 p.19)

たとえば、次のような劇評家が演出家に嫌味を言うケースを想定してみましょう。
「昨晩は君が演出した舞台を見たけれど、退屈で居眠りをしちまったよ。おかげで夜は一睡もできなかった」この情報を並べ替えて作られたのが次のジョークです。

笑い話3

劇評家が演出家に。
劇評家「昨晩は君の演出した舞台を見たせいで、夜は一睡もできなかったよ」
演出家「うれしいことを言ってくれるね。シニックな君の心をそこまで揺さぶったとはねえ」
劇評家「いやあ、単に劇場でぐっすり眠れたおかげなんだけどね」
(同上 p.39)

テクニック3 動物や子どもを使う

異なる論理と視点が出会うところに笑いがやってくる確率が高いです。動物や子どもがもつ素っ頓狂な論理が、私たちの予測を裏切り笑いを発生させます。ときには、認知症の老人、酔っ払い、中毒者、精神病、未開人、少数民族などがこの役割をするパターンもあります。漫才のボケ役はこの役割を担います。

笑い話4

再婚した父親が息子に尋ねる。
父親「ひろし、どうだい、新しい母さんには慣れたかな」
ひろし「父さん、あの人そんなに新しくないよ」
(同上 pp.54-55)

テクニック4 論理の逆用

異なる論理や視点が出会うところに笑いが生まれるとはいえ、単に二つの論理や視点を並列させるだけでは笑いは生まれにくいです。ある論理を逆用して反撃しそうにない人が反撃したときに笑いが生まれることがあります。

笑い話5

禿頭の男が理髪店を訪れ、理髪師のふさふさした髪の毛を羨ましげに見つめながら、次のように所望した。
「もし、僕のヘアスタイルを君のと同じようにしてくれたら、百万円差し上げよう」
「お安いご用です、お客様」
そう言って、理髪師はたちどころに客の希望を叶えた。自分の頭髪をきれに剃ってしまったのだ。
(同上 p.65)

テクニック5 ミクロからマクロへ

ミクロな視点からマクロな視点への移動も笑いを生み出すために有効な手法となります。

笑い話6

「パパ、なんで僕たちこんな夜遅くにお店にやって来なくちゃならないの?」
「ほらほら、無駄口なんか叩いていないで、早くその防犯シャッターの鍵穴をぶっ壊すんだ」
(同上 p.92)

テクニック6 三つのリズム

異なる論理や視点を出会わせるのに有効な方法として、3つの立場を並べる方法があります。

笑い話7

先生「今日は、お葬式に参列した人たちに、棺桶に入った自分のことをどういうふうに言ってもらいたいか、考えてみましょう……正樹君はどうかな。」
正樹「故人は本当に立派な腕のいいお医者様でしたね。どれだけたくさんの人たちが彼のおかげで命拾いしたことか。どれだけたくさんの子どもたちが健康を取り戻したことか。そんなふうに言ってもらいたいです」
先生「ふーん、いい夢だなあ。じゃあ、沙也加ちゃんはどうかな?」
沙也加「もう彼女の新しい小説が読めないと思うと、残念で寂しくてたまりません、なんて言われたいです」
先生「そうか、沙也加ちゃんは小説家になりたいんだね。じゃあ、マモルくんは?」
マモル「キャーッ、動いてる!生きていたんだわ、この人!そんなふうに言われたら、最高だもんね、僕」
(同上 pp.96-98)

上の例のように、最初の2つで論理を形成し、最後の一つで論理をずらす、または破たんさせるパターンがジョークには頻繁に見受けられます。

テクニック7 誇張と矮小化

誇張をしてから矮小化をすることで、笑いが生まれやすくなります。

笑い話8

モスクワのクトゥーゾフ大通りで信号待ちをしていた時の話
男の子「ねえ、ママ、信号が赤のときでも道路渡っていいかなあ」
母親「もちろん、いいに決まっているじゃないの」
  「ただ、その場合は両手を挙げて渡るのよ」
男の子「なんで?ドライバーに見えやすくするため?」
母親「ううん、死体安置所でシャツを脱がしやすくするためよ」
(同上 pp.110-111)

死体安置所という具体的イメージによる誇張と、シャツを脱ぐときに両手を挙げるという日常性への矮小化が笑いを誘っています。

テクニック8 危機的状況

危機的状況を舞台とした笑い話は多いです。笑いは緊張した心身の弛緩とされます。危機的状況には、神経を張りつめさせる効果があるため笑いを生み出す土台としてはもってこいなのです。なお、このテクニックはテクニック7の誇張と矮小化と重複する点もあります。

笑い話9

パラシュート一式を購入した男に店員が説明する。
店員「これを装着して飛行機からジャンプいたしますと、五秒以内に自動的にパラシュートが開く仕掛けになっております」
男が心配そうに尋ねる。
男「もし開かなかった場合は?」
店員「その場合は胸元右にあるこの輪っかを引っ張ってください」
男「それでも開かなかった場合には?」
店員「こちら胸元左にある予備の輪っかを引っ張ってください」
男「それでも開かなかった場合には?」
店員「その場合は不良品ということになりますから、いつでもお取替えいたします。ご面倒ですが当店までお持ちください」
(同上 pp.128-129)

死より些末事を重視することが可笑しさを生んでいます。

テクニック9 ほのめかしてイメージを増幅

比喩やほのめかしを用いて、最後のオチ直前までイメージを増幅させると笑いを生み出しやすくなります。

笑い話10

ある女性がイタリアの超有名スキーヤーにさまざまな筋力トレーニングと食事メニューの話をしているときのこと。
スキーヤーに「ちょっと腕に触ってみてくれ」 と言われた。おそるおそる触ると、鋼鉄のように硬い。
「ここも触ってみろ」と太股を指す。 鍛えあげられた筋肉は、人間のものとは思えない硬さであった。
「さすがー、すごーい」と感心していると、彼はニヤリと笑って言った。
「もっと硬いところもあるぞ」
うろたえている私に彼は囁いた。
「骨だよ」
(同上 pp.141-142)

テクニック10 細部にフォーカスをあてる

些末なことに注目し、全体の状況をゆるがすことも笑いを作るために有効な手法となります。テクニック5の逆で、「マクロからミクロへ」と言ってもいいかもしれません。

笑い話11

ビール園にて
客「ちょっと、ジョッキの中で蠅が溺れてるわよ!何とかしてよ」
ウェイター「浮き輪でも投げ入れましょうか」
(同上 p.168)

テクニック11 パロディー

おとぎ話、テレビCM、慣用句などの形式を模倣しながら、内容をすり替えることで笑いが生まれやすくなります。これをパロディーと呼びます。同音異義語でおやじギャグが成立するのも同じ理屈です。

笑い話12

難破して漂流の末、無人島にたどり着いたロビンソン・クルーソーはしばらくのあいだまったくの孤独だった。しかしそのうちジャングルで出会ったオウムが懐いて人語を喋るようになった。ある日、オウムが興奮した様子で飛んできた。
「ロビン、ロビン、大変だよ、女がいたよ!!!」
ロビンソンもやりかけの仕事をほったらかしにしてオウムの後を走り出した。目的地に向かってジャングル中を三時間も走り続けるあいだ、オウムは声を限りに叫び続けた。
「ああロビン、彼女の足ときたら!腰回りときたら!とにかくスタイル抜群なんだよ!」
海岸線が見える辺りまでたどり着いたところで、オウムは息を整え自慢げに告げた。
「ほら、彼女だよ」
ロビンソンも興奮して天を仰いだ。
「オーマイガッ!!メスのオウムじゃないか」
(同上 pp.172-173)

パロディーを使うと、話の前提条件を省略できるので、話自体の短縮化にも役立ちます。
ところで、似顔絵や物まね芸など、2つの似ている顔やしぐさを目にしたとき、私たちはしばしば笑います。これもパロディーの一種です。それがどれくらい面白いかは、パロディーの対象の知名度、生真面目度(権威度)、顔や動きの相似度とに比例し、内実の近似度に反比例するそうです。生真面目な有名政治家をお笑い芸人が真似するとウケるのは、こうした理由があります。

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