笑い学入門2「笑いと『純粋経験』――笑いの最中について」

笑い学入門講座第二回目!

今回は、現在関西大学人間健康学部で開催されている「笑い学入門講座」の内容を要約してご紹介します。 この講座は関西大学と堺市との連携事業であり、一般の方向けに無料で開講している講座です。 「笑い学入門講座」の第二回目の講師は関西大学名誉教授の井上宏先生。 テーマは、「笑いと『純粋経験』~笑いの最中について」です。井上先生は日本笑い学会を立ち上げる等、長年「笑い学」の第一人者として活躍されています。 ご専門はメディア社会学、コミュニケーション論です。 なお、当記事の内容は、講座の内容を筆者の視点から解釈し短くしたものであり、講師の方の見解と必ずしも同一のものにはなっていないことがあります。 ご了承ください。

西田幾多郎の「純粋経験」

今回のテーマは、ズバリ「笑っている最中に意識はどのように変わるのか?」です。 科学的な実験でデータを得にくいこうした「意識」を対象とした問題は、哲学的に考えていく必要があります。 笑っている最中の意識の分析に役立つのが日本有数の哲学者である西田幾多郎の「純粋経験」という考え方です。


西田幾多郎(1870-1945)

おいしいものを食べて、「おいしー!!」と思わず口から出てしまった。温泉に入って「あ~いい湯だな~」と思わずうなってしまった。 西田幾多郎はこのような我を忘れて行う経験を通常の「我」の意識がある経験と区別して「純粋経験」と名づけました。 西田幾多郎自身は「純粋経験」の例として、断崖絶壁を懸命によじ登る登山家の例を挙げます。 我を忘れて雑念なく夢中で壁を登るとき、自分(主体)と絶壁(客体)とが一体となる心境になる、それが「純粋経験」です。 また、音楽家が熟練した曲を流れるように一心不乱に雑念なく演奏することも西田が挙げる「純粋経験」の例です。 このとき、音楽家に雑念が生じて旋律が乱れたりするとそれはとたんに「純粋経験」ではなくなります。 食事をしていて「このお肉は肉汁が多く、歯ごたえも十分にあり、ビタミンやタンパク質も豊富に含まれていて……」と考えることも、もちろん「純粋経験」ではない通常の経験です。 音を聞いたとき、「この音は何であるという判断すら加わらない前」(西田幾多郎『善の研究』)が「純粋経験」なのです。


純粋経験とは

この西田哲学の基礎となる「純粋経験」の概念には、いくつかの特徴があります。

  • 主体と客体とが一体化し現在意識「我」が消えること
  • 対象に注意を向ける時間的な継続は瞬間的でも断続的でも持続的でも純粋経験は成立する
  • 意識が統一されていて雑念が入らない状態であること

笑いの場合はどうでしょうか。 私たちが笑っている最中、我を無くし笑う行為に身を任せ、また、笑いの対象に雑念なく意識が統一されているという点で、笑っている最中もまた「純粋経験」なのです。 「純粋経験」のなかでも笑いには、息を吐き力を抜いているという特徴があります。

笑いや身体の性質

さらに、「笑いの最中」を考える際に有用ないくつかの笑いや身体の性質をおさえておきましょう。

  • 人間の笑いとは「息を吐く行為」です。呼吸することによって身体の力が抜けて気持ちは落ち着きます。 研究では、副交感神経が優位になったり脳内のα波やθ波にも変化がみられました。
  • 人間の身体には、異物の侵入でバランスが壊れたときに同一の自己を保とうとする「ホメオスタシスの原理」がはたらいています。 笑うとNK細胞の活性度合いが正常値の範囲に戻ることから、笑いもそうした機能の一環と考えられます。
  • 感情は身体に影響を与えます。ネガティブな感情が身体にネガティブな変化をもたらす一方で、ポジティブな感情は身体にポジティブな変化を起こします。 笑うことで膠原病を克服したノーマンカズンズ氏の例は後者に該当します。


「笑いの最中」を考える手掛かり

笑いの作用と効果

笑っている最中は「純粋経験」であるため、「笑いの最中」を直接意識化することはできません。後に振り返って笑いの効果を自覚することはできます。 ここでは、「笑う前の自分」、「笑っている最中の自分」、「笑った後の自分」に分け、笑いの作用と効果を挙げます。


笑いの3段階

  • 「緩和作用」
    笑いは息を吐く行為であり、力を抜いて緊張をとる「緩和作用」があります。
  • 「無化作用」
    笑いの対象に意識を集中して我を忘れて笑うため「無化作用」があります。笑っているとき、エゴがなくなるのです。
  • 「解放作用」
    笑う前の自分(現実)から自由になる「解放作用」があります。私たちは現実に縛られて生きています。 笑うことで義務や責任、しがらみなどから一時的に解放されるのです。能の三笑はこの種の笑いでしょう。
  • 「再生効果」
    笑った後には、「心が軽くなった」「気が晴れた」という笑う前とは違った気分になります。新しい気(いのち)が湧くという「再生効果」があります。
  • 「ゆとり効果」
    笑った後に本来の自分を取り戻し、笑う前の自分と比較してゆとりが生まれる「ゆとり効果」があります。不登校の生徒を寄席に連れて行って思う存分笑わせたら学校に通うようになったそうです。

「笑いの最中」の意識の生成過程

それでは、いよいよ以上のことを一つの流れにまとめましょう。
「笑いの最中」には次のようなフローで意識が生成されると考えられます。

  1. 笑いの対象に意識を集中させ、溜まった息を吐き、新しい空気を吸います。笑う前の自己を吹き飛ばして我を忘れます。
  2. 我を忘れて笑っている間に、笑いのエネルギーが湧き出ます。このエネルギーとともに、ポンプでくみ出すように新たな「気」が湧き出ます。
  3. 潜在化してあった「本来の自分」が目覚める、あるいは「再生」します。現実の現実の役割、拘束、意味から解放されて「本来の自分」を取り戻します。新しい自分が生まれて、気分が変わったような気持ちになる、つまり「変身」します。
  4. 笑った後には、「ゆとり」が生まれます。距離をおいて自分を見つめることができるようになります。

笑いとは「死」と「再生」

細胞が不要なものを吐き出し、細胞自身が自食し新規に必要なたんぱく質を作り出す「オートファジー」の仕組みを解明した大隅博士がノーベル賞を受賞されました。 次元は異なりますが笑いにも似たような機能があるのではないでしょうか。 笑いは、不要なものを捨て(死)、新しいいのちを生む(再生)。 「生命力」の中に、「笑いの仕掛け」が組み込まれており、日常的に笑うことは「命の日々再生」に通じているのです。

まとめにかえて

いかがだったでしょうか。
井上先生によると、西田幾多郎の哲学は難解ですが、人を惹きつける魅力があるそうです。
私個人としては、西洋の哲学が「我」という主体を通した見かたで構築されてきた中で、西田幾多郎が主体と客体との同一化という考えに至ったことは、大変興味深く面白いと感じました。

笑い学入門講座のご案内

講座が扱う「笑い学」はその名の通り、笑いをテーマとして扱う学問です。
テーマが身近なぶん、難解すぎないので初めて研究、学問に触れる方でも安心して学べます。
講座では笑いに関する様々な専門家が登壇します。
毎回新しいトピックで面白いと思います。

講座は事前申し込み制ですが、当日参加も可能です。
参加費:無料
テキスト有:笑いを科学する(新曜社)会場販売あり
場所:関西大学堺キャンパス SB302教室
〒590-8515 堺市堺区香ヶ丘町1-11-1 南海高野線「浅香山駅」徒歩1分
詳しくは下記ページをご参照ください(外部リンク)。
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